今ここに、不良在庫があるのだが…

アイデア商品を作ろうとして、どうにもならなくなったブログ

自分と人のあいだにあるもの。

新人営業マンとして働き出して1ヶ月半が経ったと言うのに、仕事場に全く馴染めないでいる。

馴染めないだけならば、まだ良かったのだが、とうとう3日前に、突然マネージャーに呼び出され、「あなたの評判が著しく悪い。みんなに嫌われているらしい」と告げられた。

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多少の自覚はあったものの、直接ハッキリと言われると、さすがにショックだった。

自覚はあるとは言ったものの、自分としてはみんなと仲良くなりたいと思っていたし、そうなる様に努力していたつもりだったからだ。

マネージャーからの話を聞いて、涙がこぼれた。比喩的表現ではなく、本当に泣いてしまった。

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ところでマネージャーが「嫌われているらしい」と言ってくれたのはせめてもの救いだった。

少なくともマネージャー自体は、それ程僕の事を嫌っているそぶりはなく、むしろ、そうならない為に一緒になって改善案を考えてくれた。

 

ここ数日、この事をブログに書こうと下書きを何度か繰り返しては消していた。

それは、どう書いても愚痴っぽくて言い訳がましくなってしまうからだったのだが、昨日からあまりにも理不尽な事が続いたので、どこか吹っ切れた部分もある。

それに、「みんなに嫌われている」と言われたが、実際に嫌っているであろう人は一部で、決して全員では無いと思える様にもなったからだ。

 

それでもやはり人から嫌われると言うのは、ヒトとしてとてもダメージが大きい。

特に僕は、人こそが人生最大の娯楽だと考えているし、豊かな生活とは、恋人であったり、友人であったり、家族であったりとの触れ合いの中から生まれるものだと思っているからだ。

 

ちなみに、妻からの「殺したろか」というLINEと共に始まった離婚問題は前回のブログ削除と就職による安定収入で一時的に和解をし、離婚問題の根本的な解決には至っていないものの、今は平穏な仮面夫婦を保っている。

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周りに友人もおらず、家庭でも居場所がなく、仕事場でも嫌われている40歳のおっさんが、それでもなぜ生きていけるかというと、僕の人間関係は完全に閉鎖されているわけでは無いからだと思う。

 

少なくとも地元に帰れば友人がいるし、今の仕事を辞めてもなんとかなると思っている。離婚は出来れば避けたいが、独身になっても構わないと覚悟している。

 

もちろん、本当のところはどうかわからない。

 

40歳を過ぎれば、地元の友達も生活環境は変わっているだろうし、ろくな仕事に就けない可能性は高い。何より再婚する事はかなり難しいだろう。

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だけど、重要なのは、そうなっても構わないと思える事だと思う。

 

仕事場で嫌われている話に戻るが、

マネージャー曰く、僕が仕事場で嫌われている理由は、新人らしくなく、生意気だからだそうだ。

あまり詳しくは書けないが、今の営業所は成績が悪く、先月から支店長とマネージャー複数人が総入れ替えになったらしい。そして新体制になってからの初めての新人が僕らしい。

 

僕が営業の会社に入ったのは、歩合で稼ぐ為で、職場で馴れ合うことでは無いと思っていたので、先輩に直接疑問をぶつけたし、自分なりに考えて行動した。

その行動が、元々いる営業マンから見て生意気で新人らしくないと取られたのならば、それは仕方がないと割り切れる。

もちろん、思慮や配慮が足りないところは素直に改善して努力を続けなくてはならないが、先輩社員の顔色だけを伺っていても結果にはならない。幸いな事に、僕の入った会社は結果が全てなようなので、結果を出せばみんなの反応も変わるだろう。

そう思っている。

 

やはり書いてみて自分でもツッコミどころの多い感じになってしまったが、僕の言いたい事は、

もしも完全に閉鎖された組織や環境にいたのならば、逃げ場や居場所を失い、仕方がなく自分を殺して生活していくしか方法がなかっただろうという事だ。

 

繰り返すが、僕が先輩たちに嫌われても結果を出して見返してやると思えるのは、今の仕事場にしがみつくしか無いとは思ってない事だ。

 

きっと妻が離婚を踏みとどまっているのも、僕が離婚しても構わないと思っているからだ。

 

今は友達はいないが、かといって、つまらない交際を無理に続けていないのも、きっと本当に仲の良い人とつながる事が出来ると信じているからだ。

 

僕は人が好きだと公言しているが、実際は以前から多くの場面で人から嫌われて来たと思う。

小学校、中学校では、かなりイジメを受けたし、辛くて真剣に自殺を考えた事もある。

 

思えば、その頃からコミュニティや人間関係に対して自分なりの解決策をずっと探していたのだと思う。

 

どうすればより良い人間関係を築けるのか?

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40歳になった今でも、自分を出すと嫌われる事があると改めて分かった。

 

 恐らく万全な解決策はないのだと思う。

 それでも、ひとつ対処法があるとするならば、

それは一つの関係性に捉われ過ぎない事だと思う。

 

つまり人間関係にもプランBを持つ事。

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それが出来れば、人間関係のストレスは少しは薄める事が出来るんじゃないだろうか。

 

で、まだまだ語りたいけど長くなったし、イラストも描いてないけど、今日はここまでにしよう。

営業の仕事してるとブログ書く暇ねーや。

はてなプロを続けようと思ったけど、プランBだわ。

 

 

癖なのか、障がいなのか、哲学か、

小学校一年生の時、道徳の時間に学校の体育館で映画を見せられた。

タイトルは確か「ライオン先生」

ふと思い出してググったけれど、該当はなかった。同名のドラマはあったが竹中直人は出てなかったし、あらすじも違った。

見たのは小学校一年生なので、昭和58年くらいだと思う。

映画あらすじは、知的障害の主人公の少年が学校で問題行動をするという話しで、それを取り巻く先生や生徒たちの人間ドラマだった。

(だったと思う)

映画の途中、脳性麻痺の障害者の大人が出て来てくるので、事前に教室で先生から、映画には衝撃的な内容があるからと注意を受けた記憶がある。

主人公の少年は、自分も将来は脳性麻痺の人のようになると思い込んで悲観すると言った内容だった。

 

話の内容はそれくらいしか憶えていないが、印象的だったのは、主人公の少年が、テンションが上がると「やったー!」と言って服を脱ぐ癖がある事で、体育館のスクリーンに少年のチンチンが映るたびに、子供達みんなはクスクスと笑っていた。

 

 

さて、今月は離婚のリスクを負い、はてなプロに課金してまでブログを再開させて、以前のように毎日更新はしないまでも、1ヶ月が過ぎようとしている。

新しく新人営業マンとして仕事を始めたことによって、ブログに書くことがなくなったと感じていたが、今日ふとブログを書きたい衝動にかられ始めた。

 

今の仕事の内容を書いて会社にバレると面倒だし、続けているとなんだかバレそうなので辞めておくが、それ以外の事を書く分には問題がないと思う。

 

しかし、しばらくブログをやってみて、自分は体験談しか書けない体質だと悟った。

 

となると、必然的に、ブログに書く事は過去の体験談になる。

 

しかし、ここで別の問題が出てきた。

 

それは、僕の体験談はインターネットであまり公開する内容では無いようなので後悔するだろうと言う事。

ダジャレだけどシャレにならない事もあったりする。

 

例えば、前回のブログに書いた、友達が女子中学生レイプ未遂を起こしたり、海外で買春しようとして警察に踏み込まれたりは、印象的な出来事だが問題のない方で、今後ブログを書き進めていくと、見る人によっては、本当に嫌悪感しか持たない様な内容になっていくと思う。

 

それなのに、なぜかどうしても書きたい衝動にかられてしまう。

 

それは恐らく自分にとっては、自分を構成する印象的な出来事だったわけで、良くも悪くもその出来事があった上で今の自分があるからだ。

だから自分の事を語る上で、どうしても避けて通るのは不自然に感じる。

 

しかし、だからと言ってインターネットでわざわざ赤っ恥を晒す必要もないのだが、どこか自分の恥部をさらけ出したい衝動にかられる。

 

僕はなぜか酔うと脱ぎたくなるし、素面でも朝起きると全裸になっている事も多いし、鬱状態の時は街中で全身を赤く塗りそれを友人に頼んで撮影してもらった。

なのに撮影の際は本当に嫌だった。

 

ちなみに、普段はいたって恥ずかしがり屋なのだから、もう自分でも訳が分からない。

 

これが、映画「ライオン先生」を思い出した訳だ。

 

実は僕も小学校の頃、プールの後に裸で学校の渡り廊下を走り回ったことがある。

僕の場合は更に教室で嫌がる女の子の身体にチンチンをつけて遊んでいたので本当にタチが悪い。

 

今だと完全に発達障害の認定を受けると思うが、当時はそんな言葉は無かった。

 

とにかく、今後不定期に自分の黒歴史を晒していこうと思っている。

そして、それは最終的には、ブログタイトルである「不良在庫」につながっていく様な気がしている。

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あぁ…きっとまたこれを書いた事で、しばらく凹むだろうなぁ。

まぁ元々ミイラって死体だけども。

仕事を始めたらブログに書く事が無くなった。

 

いや、書きたい事はあるんだけれども、自分の事をありのままに書くことしかできないので、書けないでいる。

 

新しく始めた仕事は営業なので、まだ誰も見ていないとはいえ、ブログに書いてしまうと色々と問題が出て来そうだ。

 

新しい仕事の環境に慣れるのに忙しく、昔の事を思い出してブログにする余裕は無い。

 

とりあえず、状況だけを書くと、新しい職場で1ヶ月が経ったのに、僕は全く馴染めていない。

人の入れ替わりが激しい職場で、すでに後輩が二人出来た。

今日、新たに入って来た新人は、とても爽やか好青年できっとすぐに皆んなと馴染んでいくのだろうと思う。僕だって友達になりたいと思ったくらいだった。

 

新しい仕事を覚えるだけで日々が過ぎていき、最近は不良在庫の事はあまり考えなくなった。

それ自体は望んでいた事なので、結果オーライとも言えるが、同時にブログを書く動機も無くなりそうだ。

 

環境がガラッと変わる事によって、姿勢が変わった。

そして意識まで変わろうとしている。

 

このまま行けば、今残っているモヤモヤも消え、夫婦仲は(とりあえずは)円満になり、金銭的にもしばらくは安定するだろう。

 

だけどそうなったら、みぃらは、死んでしまうな。

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なんか少しさみしい気もする。

最近ブログ書くの忘れがち。

研修を終えて、営業マンとしての一歩を踏み出した。

営業マンは当然、契約が取れなければ存在価値が無く、僕の入った会社では、営業成績の不振期間が続くと解雇通告をされる。

 

それでも固定給がある一定期間(1年以上)あるから、随分とホワイトな会社だと思う。

前に営業やってた時は固定給が無かったので、最初の頃は月の給料が総額6万円とかだったし…

 

そんなこんなで今週から徐々に新しい環境になってきて、気がつくともう水曜日が終わった。

 

前回のブログでは暇だった事もあり毎日更新を続けていたけど、営業の仕事が始まるとブログ書く時間があまり無いや。

 

それにやる事が沢山になり、不良在庫がどうのとか言ってられなくなってる。

毎日に追われだした感じだ。

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でも、それは良い事もあって、日々に追われる事によって、悩んでいる暇が無くなった。

 

それに営業マンは仕事がらポジティブを強制されるので、大きな声で挨拶したり朝礼したりする事で、無理やり前向きな気持ちになってる。

つまり、負の力(不良在庫)についてのブログを書こうと思う事が無くなってる。

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まぁ、今は新しく覚える事だらけだし、仮にも前向きに取り組もうと思っているので、営業の神様の信者になる事を甘んじて受け入れるつもりだし、まだノルマもキツくないから大丈夫だけど、いずれ壁にぶち当たったら解雇される事もあるので悩むだろうし、そもそも、ずっと続けるつもりもないので、いずれ営業の神様の洗脳は解けて、仮に営業成績が良くとも、遅かれ早かれ燃え尽き症候群がやって来るだろう。

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なので、出来る限りブログは趣味として続けたいと思う。

 

やはり、負の感情のはけ口は必要だ。 

 

それに営業マンとしての仕事を続けていく事で、「不良在庫」を売り込む力もつくのならば、売り込みのブログも、良いものが書けるかもしれない。

まぁ、ゆる〜くやってこう(^ω^)

 

とりあえず今の状況としては、

半年間無職だったし、その前の2年間は直行直帰の誰とも話すことのない仕事だったので、営業マンとしてでも人と話す事は楽しい。

 

仕事場で営業についてのミーティングなどは勿論、移動の車の中での話や、飲食店での昼食など、なんだか社会と関わってる実感がする。

 

営業中は思いっきり邪険に扱われたり、時には怒鳴られたりもするけれど、それでも今の所は、ほとんどダメージは無く、むしろ人の反応を見ているだけで嬉しく思う。

少し変な精神状態だ。

 

ところで、今日、研修で一緒だった人がやっているグループLINEで1番活発だった、社交性オバケのボスが突然グループを抜けた。

 

まぁ、研修直後のピークから比べて、今週に入り、予想通り過疎ってたので連絡を取り合う意味は無かったのだが、あえて抜ける必要もないように思う。

 

その真意は分からないが、もしかすると社交性のオバケのように見えても、本当はメンタルが繊細な人間だったという事かもしれない。

 

「幽霊の、正体見たり、枯れススキ」って感じかな?

 

ちなみに、半年で新人の半分以上は辞めていくらしい。

 

なので(?)

特に意味はないが、半年間ははてなプロを続けようと思う。

 

 

 

研修を終えて、

先週末、40歳新人営業マンとしての研修も終わり、家路に着いた。

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研修では全員が営業マンと言う事もあり、それなりにみんなと仲良くなったけど、最後まで名前と顔の一致しない人もいた。

 

振り返ればやはり社交性おばけな人達が率先して場を作っていたと思う。

 

帰りにはLINEグループが出来ていて、そこでもやっぱり社交性おばけな人達を中心に帰りの新幹線での状況などをそれぞれ報告しあってた。

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僕も一応は参加していたが、メッセージのやりとりを眺めながら、どうにも馴染めない自分に気がついた。そういえば新幹線も1人で乗るためにお土産を買うからと、わざと時間をずらしていた。

 

やはりここでも心の中の不良在庫が邪魔をしているのだろうか。

 

本当は 仲良くなりたいはずなのに、何故かそういった社交的な場を避けてしまう。

新しい環境で心機一転やっていこうと考えているのに、自分から他人を遠ざけるような行動を取ってしまう。

 

この矛盾は何なのだろう。

 

急に自分でも不思議になり考えてみた。

しばらく考えてみて、自分なりの答えが出たのでブログに書いてみる。

 

答えは価値観だ。

 

社交性おばけと僕が名付けた人達は、社交的で誰に対しても積極的に話しかけ、会話の中心になり、場を盛り上げる。

最初に社交性おばけと名付けた時は、ただ社交性が化け物のように高いコトを表現したつもりだったが、今思うと、彼等は社交性という何も無いモノそれ自体に価値を置いているような気がする。

 

実際は、そんな人達がいるおかげで、その場は明るい雰囲気になり、皆んなも話しやすいポジティブな空気が生まれる。

今回の研修でも、彼らのおかげで、ある種の一体感が生まれ、研修の質は上がったと思う。

特に今回の研修では、講師の方も言ってたが、そういった仲間意識を上げる目的もあった様だ。

 

だけど、僕はそれを望んでいなかった。

 

だって恐らく時間が経てば今回最後に交わしたLINEグループは誰もメッセージを交わさなくなり、連絡先には誰だか分からなくなった、使わないアドレスが増えることになる。

 

僕はそれにとても虚しさを感じてしまう。

 

僕は その人と仲良くなりたいと思ったり、その人に興味を持つようになってから連絡先を聞きたいと思う。

誰か分からなくなる様な人を自分の友達帳に記載したくないのだ。
 

もちろん今後、営業マンとして働くつもりなので、仕事の上では多くの連絡先を集め、色んな人に積極的にアプローチをしていくことになるだろう。でもそれは友達帳ではなくて、顧客リストを作るためだ。

 

僕はきっと利害関係のない、ただの友人が欲しいのだと思う。

  理由などなく、ただ一緒に居たいと思うだけの人を。

 

今回の研修では、残念ながらそういった友人は出来なかった。

 

でも、良いことも少しはあった。

それは、一緒に泊まっていた数名と連絡先を交換した際に、話しのネタに例の「不良在庫」を見せてみたのだ。

 

意外な事に、その時の反応はこれまでに無いくらい良い反応だった。

 

「これは売っているのか?」

 

「自分も使ってみたい」など、

そして、

「是非いくつかゆずって欲しい」とまで言ってくれた。勿論いくつか差し上げた。

 

まぁ営業マンの言うことだから、全て本気にするわけでは無いが、それでも少しは価値を認められたのかと思うと嬉しかった。

 

とにかく、不良在庫の一部ではあるが、減らす事に成功した。

同時に心の不良在庫も少しは軽くなった。

いつかこの不良在庫が全てなくなるまで、色んな人に紹介していこうと思った。

 

全ての不良在庫が無くなった暁には、もしかすると新たな友人が出来ているのかもしれない。

 

 

 

社交性おばけ

今日から新しく入った会社の研修が始まる。


明日からの研修に向けて、僕と同じく新人の営業マンが全国から集まってくる。

短い期間だが、研修などでは同じ環境にいる事で、人と仲良くなりやすいと思う。
勿論、研修が終われば、ほとんど連絡を取る事はないのだろうが、それでも色んな背景を持った人と話をするのは嫌いじゃない。

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新幹線の車窓から、流れる景色を見ながら、

この時はそう思っていた。

 

 

新幹線に4時間程揺られ施設に到着したのは夜の8時ごろ。

到着名簿にはほとんどサインがしてあり、僕は最後から2番目の到着だった。

 

明日からは外出禁止とのことなので、荷物を降ろして明日の朝食と飲み物を買いに行き、施設に戻ると施設1階ホールの喫煙スペースに何人かの人が談笑していた。

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その姿を横目で見ながらエレベーターで部屋に戻る。

シャワーを済ませ少しくつろいだ後、唯一タバコの吸える1階ホールの喫煙スペースに向かう。

再度喫煙スペースに行くと、今度はまた違う人が1人だけ居た。

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「お疲れ様です。〇〇支店の〇〇です」

早速、挨拶される。ので僕も返す。

「お疲れ様です。△△支店の△△です」

このやり取りを、後何度する事になるのだろうか?

 

先に来ていた新人営業マンは、若い人だった。

新幹線の移動はどうだったとか、前職は何をしていたのか、研修まではどう過ごしていたのかなど、適当な世間話をしていると、

ぞろぞろと外から他の研修の人達が5人くらいで戻って来た。買い物か食事にでも行っていたのだろうか。

 

その人達はホール中央のソファーに座ってなんだか盛り上がっていた。

 

遠巻きに見ていると、とても初めて出会ったとは思えないほど盛り上がって会話していた。

先ほどの若い営業マンも、その人達の座るソファーに腰掛けて話に入る。

後から入って来た5人の中でも、特に声が大きく、社交的で明るい40代の男が、早速電話番号を聞いている。

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さっきの若い人もそれに答えてすぐに番号交換をしている。

その流れで、僕も番号を聞かれたが、

僕は部屋に電話を置いて来ていたので、「またの機会に…」と言って、その場を離れた。

 

部屋に戻り、テレビを見ながらくつろいだ後、もう一度タバコを吸いに行こうとエレベーターに向かうと、さっきの人達が上がって来ていて、騒いでる。

そして、

もうすでに何処かの部屋に集まる算段をしている。

 

 

うっ!なんなんだこの社交性は?

 

そういえば!

みんな営業マンなのだった。

驚くべき順応性だ

 

僕は完全に出遅れているし、それを取り戻そうとも思えない。

営業適正が無いのだろうか?

 

なんだか、この後の研修が一気に重く感じて来た。

 

僕はそんな事を考えながら、ひとり部屋でイラストを描き、ブログを更新している。

 

 

離婚してでもブログを書く理由

この話の続きです。

 ブログ始めたら離婚する事になった話し - 今ここに、不良在庫があるのだが…

 

別にブログで収入を得ようだとか、人気者になろうだとか思っているわけでも無いのに、どうしてそこまでブログを書こうとするのか?

 

前回削除したブログでは何度か触れたテーマだったけど、離婚をする事になってまで、書く理由が何なのか?

自分でもよく分かっていないその理由を、もう一度掘り下げて考えて見たい。

 

今回は書きながら考えているので、いつにも増して支離滅裂な文章になると思うので悪しからず。そのままアップします。

 

客観的に見て僕はブログを書くべきでは無いのは分かっている。

前回のブログを削除した時、何人かの友人と電話で相談したが、どの友人もブログを消して謝ったほうがいいと言う意見だった。

 

確かに、自分でもたいして面白いブログだとは思って無いし、実際それ程多くの人が見ているわけでも無い。

 

ブログを通じて誰かとコミュニケーションが取りたい気持ちがあるのだが、その為に一番大切な家族を失ってしまった。

 

なのになぜ、それでもブログを書くのだろうか?

 

実はブログでなくても構わないと思ってはいる。だけど、何か心の拠り所がいる事は間違いないんだ。

いくつかの選択肢がある中で、ブログが一番適しているんじゃ無いかと思って始めただけの事だ。

 

じゃあ、その心の拠り所とは何なのか?

どう言う意味なのだろうか?

 

まず、僕は今の自分の環境が嫌だ。

もっと楽しいと思える仕事をしたいし、もう少しお金も欲しい。家族を幸せにする約束を果たしたいし、まだまだ遊び続けたい。

 

そんな理想を持っていて、その理想を追いかけない事は、自分を諦める事だと思っているのだと思う。

でも、さすがに40歳という年齢になり、その多くが実現してこなかったし、むしろマイナスの方向に進んできた事に対して、納得出来ないでいる。

自業自得。

正にその通りだが、じゃあ、成功を望んだ自分はどうなるのだろう。

失敗を受け入れる事は出来ても、成功を望んだ自分を追い出すことができない。

 

40歳になっても自分を諦められないでいるのだ。

実は以前から自分が死ぬ月を決めている。

僕は必ず1月に死のうと思っている。

 

来年の1月ではないし、何年後かも決めてはいないし、死に方も決めていない。

12分の一だから必ず当たると思ってる。

ただ、自殺はしないと決めている。

 

これはある種のワークショップみたいなもので、その為に毎年年末に自分を振り返り、もうすぐ死ぬかもしれないのに後悔はないのだろうかと自問自答する。

 

だから赤く体を塗ったのも年末だったし、前職を辞めると決めたのも年末だった。

体を赤く塗ったから後悔しないとも思わないし、仕事を辞めたから後悔しないって事はないが、それでも自分である事が大事だと思っている。

 

自分がやりたかった事、出来るのにやらなかった事をやらないで死ぬのがたまらなく怖い。

いや、やらないで生きていくのが辛いんだと思う。

 

自分の人生という物語の主人公は自分で、それを降りる事は、物語を他人に譲る事だと考えているのだと思う。

それがたとえ家族、愛する嫁であろうと、自分の血を引き継いだ子供であろうと自分の物語は渡せないのだ。

その物語がいかに駄作で悲劇だったとしても。

 

きっと最後はハッピーエンドになると信じている。いくつかのハッピーな体験があっても、すでにエピローグが来たとは、どうしても思えない。

だから、世の中に働きかけを続けているんだろう。

誰かに影響を与えたい。

その影響で、自分の価値を認識したいんだ。

 

ここまで書いて、ある種自分の拗らせ具合がかなりやばい事にも気がついた。

 

例えば、歩行者天国にトラックで突っ込んだりする人の心理に近いような気もする。

 

嫁が僕の行動に恐怖を感じ、子供を避難させなければならないと感じたのも理解できる。

もちろん、子供は愛しているし、たくさん話もするし、叱る事はあっても暴力をふるった事はない。

それに例えば、僕が悪の組織に捕まって、家族の居場所を吐かなければ殺すと言われたとしたら、勿論、死を選ぶだろう。1月で無くとも。

 

だけど、家族の為だけに生きる事が出来ない。

 

この違いは、分かってもらえるのだろうか?

 

つまり、不良在庫と言いながら、僕だけは可能性を捨てられないでいるのだ。

作ったme-tagも、僕自身も。

 

だから廃棄物では無く不良在庫なんだろう。

 

なんか、それなりにまとまったので、今日はこの辺で。

 

明日から研修が始まるので、今週は毎日更新出来るやじゃないかな。

このエントリーも早く更新したいし。

 

 

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